twice up vol.9
同業者
シャンソン歌手で俳優としても名高い故イヴ・モンタンの主演映画に『ギャルソン!』(1983年/クロード・ソーテ監督)がある。舞台はパリのとあるブラッスリー。モンタンはその店のシェフ・ド・ラン、つまり給仕頭のアレックスを演じている。この飲み食い好きにはたまらない魅力たっぷりのストーリー中盤、競馬で当てた仕事仲間が、アレックスをはじめとるする数人を誘って、高級レストランで夕食をふるまうシーンがある。
いつもはサービスする側の彼らがサービスを受ける。ワインのテイスティングでは、「ラベルを見るだけでじゅうぶんだ」と一言。シャンパンを口にした誰かが「言葉が見つからない」と感想を述べると、「温度は?」と質問が飛ぶ。「5℃半」と即座に答えが返ってくる。せっかくの機会なのにくつろぎきれない様子がおかしい。
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酒好きがこうじて店を始める人はめずらしくない。わたしも一人だけ知っている。店を始めて四年にもなるが、いまだに「じぶんが飲み屋のママになるなんて思ってもみなかった」なんておっしゃる。先日、店が休みの日に一緒に食事をしたが、やはり落ち着かない。店内の設えはもとより、出てくる料理やその価格、従業員の接客態度などのいちいちが気になるようである。「お店を始めると、気楽に飲めなくなるんですね。なんか矛盾してませんか」と言ったら、「そんなことぐらいわかってるわよ」と叱られた。店を経営するほどまでになると、それなりの覚悟はあるのだ。
始末がわるいのは、だてに関わった場合である。わたしはむかし喫茶店でアルバイトをしたことがあるが、その後ずいぶん長い間、客で行っている店でドアが開くと「いらっしゃいませ」と言いそうになって困った。グラスが割れる音に思わず腰を浮かせてしまったとか、帰り支度を始めた隣席の人々に「ありがとうございました」と言ってしまったなど、同じような経験がある人は少なくない。体に染みこんだ習慣というものはなかなか抜けないらしい。
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接客係同士、料理人同士といった同業中の同業を前にした当人は、いったいどういう気持ちで仕事をしているのだろうか。とりわけ興味深いのがバーテンダーである。接客係はあちらこちら動き回るし、料理人の仕事場は厨房だ。客との物理的距離から余裕があるような気がする。だがバーテンダーの場合、客との間にあるのはカウンター一枚だけだ。一杯の酒を複数でサービスすることはまずない。しかも仕事の単位がミリリットルというシビアな世界である。「一騎打ち」「真剣勝負」といった場面を想像してしまうではないか。
がしかし、じっさいに目撃したかぎりでは、そんなことはなかった。
吉祥寺George's Barでのことである。いつものようにカウンターの端っこでマスターの佐伯譲二さんに無駄話を聞いてもらっていると、若い男性のひとり客が入ってきた。暑い時期だったからタンクトップにジーンズというラフな服装である。彼はジン・フィズをオーダーし、静かに飲み始めた。
ジン・フィズ。よく知られたカクテルだが、さいきんではオーダーする人をあまり見ない。なんだか懐かしい気さえする。だからしばらくの後、彼がバーテンダーであることがわかったときは意外な気がした。その後も彼はふつうによく知られた酒を飲み、さわやかに帰って行った。このケースはもてなす側の佐伯さんが大ベテランだということも無視できないが、両者ともくつろいだじつに和気藹々とした雰囲気だった。
飲食のプロでもプライヴェートで食事や酒を楽しむ機会はある。プロなだけに楽しみ方の“ツボ”を心得ているであろうことを思うと羨ましい。佐伯さんによると、同業者は、聞かなくても「なんとなくわかる」というから、早めに身分を明かすのも、そうわるいことでもない。
●「ジン・フィズ」にまつわるおまけの話
ロング・ドリンクの王様ともいわれる「ジン・フィズ」は、ジンにレモンジュースと甘味を加え、ソーダで割ったカクテル。1888年に米ニューオリンズの名バーテンダー、ヘンリー・ラモスが考案したとされる。このベースのジンをオールド・トム・ジンにすると、トム・コリンズになる。
George's Barの佐伯さんが見習いとして入った進駐軍の下士官クラブ「ROCKER-FOUR CLUB」では、トム・コリンズの注文が圧倒的に多かったという。わたしは佐伯さんにとくにお願いして、トム・コリンズを“当時の味”でつくってもらったことがある。
ジン・フィズもトム・コリンズもシンプルなレシピだから、自宅でつくって楽しむ人も多いが、プロがつくったものはさすがにひと味ちがいます。
(2003.8.30 H.S.)
映画『ギャルソン!』クロード・ソーテ監督 [DVD@amazon][IMDb]
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