twice up vol.8
酒癖(さけくせ)
飲みに行った先でやらたと電話をかける人がいた。携帯電話がなかった頃の話だ。店に置かれているピンク色の公衆電話を独占して、手帳を繰りながらあちらこちらに電話をかける。たいした用などありはなしない。相手が出れば「元気?」「いまどこそこで飲んでるの」なんて言っている。用があって電話を使いたい人や、店の人はいい迷惑である。
あれほどの電話好きのことだ、きっといまごろは最新式の携帯電話を駆使しているだろうと思って訊いてみたら、「持ってない」というから驚いた。アンチ携帯派だという。その人が電話をかけるのは、ただの酒癖だったのだ。
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「酒癖」という言葉がいい意味で用いられることはまずない。「酒癖がわるい」とは言うが「酒癖がいい」とは言わない。「酒癖がいいですね」言われたら、そうとうな嫌味だと思ったほうがいい。ほかに同じような言葉で「上戸」がある。上戸そのものは酒をたくさん飲める人という意味だが、「笑い上戸」「泣き上戸」のように後にくっつけて、酒に酔ったときに出る癖をいうことが多い。笑うも泣くも、その典型のような人とご一緒したことはないが、どちらも過ぎればうるさいだけであろう。
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酒癖にもいろいろある。
わたしの祖父は飲むと脱ぐ人であった。夏でも冬でも、飲むと着ているものを一枚ずつ脱いでゆき、最後はふんどし一枚になってしまう。大正生まれの祖父は亡くなるまでふんどし愛好者だった。わたしは祖父のおかげで、酒を飲むと赤くなるのは顔だけではないということを知った。もちろん祖父が脱ぐのは自宅での晩酌時のことである。そうしてせいぜい飲んだあとは決まって熱い味噌汁に唐辛子をもみ入れたものでしめくくり、自室にひきとって寝てしまう。間もなく障子がびりびりと震えるくらいのすごい鼾が聞こえてくるのだが、そうすると家じゅうにほっとした雰囲気が漂うのが常だった。なにかにつけ小うるさく、世話のやける人だったから、寝てくれるとありがたかったのだろう。
もっとも罪のない酒癖は「寝る」かもしれない。
すやすやと気持ちよさそうに寝ている人を見ると心がなごむ。なにより、静かでよろしい。
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わたしがこれまでに見聞きした中で最大最強の酒癖は「ヒッチハイク」である。
飲んだ帰りにタクシーがつかまらないと、見知らぬ人の車を止め、家の近くまで乗せてくれと頼むのだ。その困った酔っ払いはかつてのわたしの上司である。しかも女性だ。
ある日、わたしはその上司Aさんに呼ばれた。向かいの喫茶店で人に会って受け取らなければならないものがあるが、じぶんは行く時間がないので代わりに行ってくれという。
喫茶店へ行くと、体格のいい男性がぽつんと座っていた。男性はAさんからもらったという名刺を見せ、大きな紙袋を差し出すと、そそくさと店を出て行ってしまった。紙袋の中には日本酒の一升瓶が入っていた。
「このあいだタクシーが来なかったから乗せてってもらったの」
高そうな日本酒をあらためながらAさんは言った。飲んだ帰りにタクシーを拾おうと手と上げていたら、大型トラックが止まったのだという。
家の近くまで便乗させてくれたドライバーは「とってもいい人」で、話をしているうちにすっかり意気投合してしまい、こんど新潟で酒を買ってきてくれるというので名刺を渡したということのようだった。
さすがに「そういうことは危ないのでやめたほうがいいですよ」と意見したら、「あら、これまで一度も危ないめにあったことないわよ」と、こともなげにAさんは言った。
彼女のヒッチハイク癖は一部では有名だった。「あの人と一緒に飲んだときはタクシーに乗るのを見届けてから帰ることにしてるんですよ」という人までいた。連れにそこまでさせるとは、まったくたいしたものである。
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George's Barの佐伯さんはバーテンダー歴50年にもなるベテラン中のベテランだ。さぞかしいろんな酒癖を見てきただろう。これまでにどんな酔っ払いがいたか訊いてみた。
「いろんな方がいらっしゃいますね」
さらりとかわされる。失敗失敗。佐伯さんはお客さんをわるく言うことは決してない。
「佐伯さんはどんなお客さんが好きですか」
質問を変えてみる。
「そうですね、女性のお客さんはみんな好きですね」
佐伯さんは酔っ払いを見てきただけではない。あしらい方もベテランなのだった。
(2003.7.28 H.S.)
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