twice up vol.10

十年一昔

 酒の席で思い出話になることは多い。そのとき同じ場所に居合わせていても、人によって見方が違い、まったく別の感想を持っていたりするのでおもしろいものだ。思い込みや勘違いを修正するいい機会にもなる。
 年を取れば取るほど時の流れが早く感じられるようになるというが、なるほど、つい最近のことだと思っていたら、もうずいぶん前のことだとわかって愕然とすることがある。
 先日、知人が「会社のアルバイトの子が力道山を知らなかった」と嘆いていたが、それくらいなんだ。わたしは山口百恵を知らない女の子と話をしたことがあるぞ。

 十年一昔という。いまからちょうど10年前の1993年(平成5年)はどういう年だったかというと、まず国内では、自民党離党者が「新党さきがけ」を、自民党羽田派が「新生党」をそれぞれ結成。土井たか子社会党委員長が初の女性衆院議長になり、衆院両院が細川護煕日本新党代表を首班指名。非自民6党連立内閣が発足し、自民党体制38年の歴史に幕。12月には「闇将軍」と言われた田中角栄が死去。
 海外に目を向けると、この年の始めにEC12か国の単一市場が発足。チェコスロバキアが2共和国に分離独立。クリントン米大統領就任。北朝鮮が核不拡散条約を脱退。
 国内に戻って、スポーツ好きにはなんといってもプロサッカーのJリーグ開幕であろう。前期は鹿島アントラーズが、後期はヴェルディ川崎が優勝。W杯アジア予選で、日本代表チームがロスタイムの失点でイラクに惜敗した「ドーハの悲劇」もこの年である。プロ野球ではフリーエージェント制が実施され、5人が宣言。
 大相撲では曙が初の外国人横綱に。20歳と6ヶ月で最年少大関となった貴ノ花が宮沢りえと婚約を解消。
 スキーのW杯ジャンプで葛西紀明がラージヒルとノーマルヒルで優勝。団体でも日本優勝。荻原健司がノルディック世界選手権複合個人で優勝。荻原は初のW杯総合優勝を決め、複合団体でも優勝と日本勢大活躍である。
 おめでたいところでは徳仁皇太子と小和田雅子さんのご成婚。「一生全力でお守りします」というプロポーズの言葉が流行語になった。ご成婚パレードのコースだった新宿通りの公衆電話が金色に塗られていたのをご存じだろうか。ちなみにこの年の携帯電話の普及台数は約170万台。それがいまやPHSを合わせて8000万台にのぼる。
 冷夏による不作で米不足になったのもちょうど10年前のこの年。スーパーなどの店頭にタイ米など輸入米が並んだ。7月には北海道南西沖地震で奥尻島が津波の被害を受け、9月には台風13号が鹿児島を直撃。
 この年のヒット曲はCHAGE & ASKAの『YAH YAH YAH』、B'zの『愛のままにわがままに』など。第35回レコード大賞は香西かおり『無言坂』。
 映画では中井貴一・桜田純子主演の『お引っ越し』、崔洋一監督の『月はどっちに出ている』。洋画ではクリント・イーストウッドの『許されざる者』。この年に放映されたテレビドラマは『高校教師』『あすなろ白書』『琉球の風』『炎立つ』など。マンガでは「月にかわっておしおきよ!」の『美少女戦士セーラームーン』がテレビアニメ化され大ヒット。掲載誌の『なかよし』9月号が少女誌初の200万部を売り上げた。
 出版界では中野孝次『清貧の思想』、『磯野家の謎』、ウォラー『マディソン郡の橋』、小沢一郎『日本改造計画』、ユン・チアン『ワイルド・スワン』、アーサー・ブロック『マーフィーの法則』などが話題に。7月に角川書店社長のコカイン事件があり、9月に作家の筒井康隆が差別表現をめぐり断筆宣言をしている。

 ひさしぶりに会うと「ぜんぜん変わってませんね」と嬉しそうに言う人がいるが、これほど返答に窮する問いかけはない。ちょいとひねくれて考えれば「成長がない」と言われているのも同じだし、わたしくらいの中年になると「相変わらず頭がかたい」とも取れ、気分次第では嫌味のひとつもお見舞いしてやりたくなる。なんでも言えばいいというものではない。
 George's Barの佐伯譲二さんとの付き合いは十数年にもなるが、「いらっしゃいませ」という声で迎えられ、「ありがとうございました」と送り出されることには変わりはない。まさに十年一日のごとしである。このすがすがしい関係がわたしにはとても心地よい。

〈参考資料〉神田文人・編『昭和・平成 現代史年表』(小学館)ほか