twice up vol.6
バーコート
バーテンダーが着ている上着は「バーコート」と呼ばれる。白いジャケットを思い浮かべる方が多いと思うが、取り扱い業者によっては、ジャケット型だけではなく、詰め襟や襟なしのものも含めてバーコートとしているところもあり、その定義は曖昧である。色も白だけではなく、臙脂や深緑、果ては柄入りまで様々だ。
このスタイルは、大正時代、日本郵船で仕事をしていた数人のバーテンダーに始まるという。船内で洋酒を提供するのに相応しい服装として採用されたもので、後にそのバーテンダーが街場に降り、広まったらしい。当時、舶来の洋酒はめったなことでは手に入らない高級品だったから、それなりの服装でサービスすべきだと考えたのだろう。いかにも格式を重んじる日本人らしい発想であるが、いまではバーテンダーがカクテル・コンペティションの規定のような服装(白コート、白のワイシャツ、黒の蝶ネクタイ、黒のズボン、黒靴)で仕事をしているのは、ホテルや高級レストランのバーを除けば、日本だけともいわれる。
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George's Barの佐伯譲二さんが、進駐軍の下士官クラブ出身であることは前にも書いたが、彼がどうしてバーテンダーになろうと思ったかご存じだろうか。どんな名バーテンダーだって生まれたときからバーテンダーだったわけではない。
「ところで、佐伯さんはどうしてバーテンダーになりたいと思ったんですか」
その年、初めてのモヒートを飲みながらわたしは訊いた。
それまでミント栽培の苦労話をしていた佐伯さんは、おや、という顔をした。そして、少しもったいをつけながら、
「恰好いいなあって憧れてたんですよ」
と言った。
また適当なこと言って、と思ったが、どうやら本当のことらしい。
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――その日、ROCKER-FOUR CLUBではショーの準備が行われていた。東京キューバンボーイズのバンドボーイ佐伯譲二は、楽器を運んで舞台にセットしたり、すぐに煙草を切らすバンドマンに使いに出されたりと大忙しである。また声がかかった。用は一度にまとめて言ってはくれないものか。まったく人使いが荒い。
ホールを横切り、ひまそうにしているデューティーと軽く冗談を交わして外に出る。途中で顔見知りのウエイトレスに声をかけられるが、立ち話をしている時間はない。急いで煙草を買って戻ると音合わせが始まっていた。
やれやれ、これでやっとひと息つける――。
舞台の袖で壁にもたれたバンドボーイは、耳慣れた曲に合わせてハミングしながら、いつものようにカウンターの中で立ち働くバーテンダーに目をやるのだった。
当時はまだ知る人の少ない、めずらしい職業である。二十歳(はたち)そこそこの青年の目に入ったのが、まず、バーテンダーのスタイリッシュな服装であったことは想像に難くない。
やがて佐伯青年はバーテンダー見習いとしてROCKER-FOUR CLUBに入ることになる。サンフランシスコ講和条約発効の翌年、昭和28年のことであった。
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前に佐伯さんと一緒にあるバーを訪ねる機会があった。そのバーを一人で取り仕切るIさんは、佐伯さんの息子といっても差し支えないくらいの若きバーテンダーだ。
待ち合わせの時間に少し遅れてやってきた佐伯さんは、通りまで迎えに出たIさんに開口一番、「似合うじゃない」と言った。白いバーコートを着たIさんは、はたで見てわかるくらい照れていた。白いバーコートを着るのは、その店のオーナーやチーフバーテンダーであることが多い。とくに年齢制限はないようだが、堂々と着こなすにはそれなりの年季が必要なのだろう。Iさんも佐伯さんに認められてほっとしたに違いない。
(2003.5.25 H.S.)
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