twice up vol.4

耳年増

 トム・クルーズ主演の映画『カクテル』に、かわった形のシェイカーが出てくる。一般的なシェイカーは、上からキャップ、ストレーナー、ボディの3つの部品からできている。『カクテル』に出てくるシェイカーは、ストレーナーとキャップがなく、かわりにボディと同じくらいの大きさのグラスがついている。ボディの上に、逆さにしたグラスを伏せたような状態で使うのである。
『カクテル』の中でトム・クルーズ扮するブライアンが働く店は、バーというよりクラブといった雰囲気のところで、客は立ったままで、あるいは踊りながら酒をのむ。息つく暇もないくらいの注文の嵐の中、ブライアンが使うのがこのシェイカーだ。
 何杯ものカクテルを一度につくるために、ストレーナーとキャップのかわりにグラスを使っているにちがいない、とわたしは考えた。応急処置というわけだ。だが、違った。
「それはねえ、ボストン・シェイカーっていうんですよ」
 佐伯さんは言った。「ぼくは使いませんけどね」と前置きをしつつ、実物を出して見せてもくれた。なんでも聞いてみるものだ。

 バーテンダーの手元を眺めるのはバーでの楽しみのひとつである。その手際もさることながら、シェイカーやバースプーンなどの、いわゆるバーグッズもわたしのような道具好きにとって、おおいに吸引力を発揮する。折にふれ「それはなんという名前ですか」と尋ねては教えてもらってきた。佐伯さんはそんなわたしをうるさがりもせず、丁寧に説明してくれる。「これはねえ」という巻き舌の江戸弁で始まる佐伯さんの話はいつ聞いても楽しい。

 どなたでもシェイカーとメジャーカップくらいまでならご存じだろう。わたしの場合、この二つは自宅にあった。家を新築したとき、グラスなどとともに父が買い求めたものだ。「洋間」と呼ばれていた部屋のサイドボードの中に麗々しく飾られていた。使いはしない。飾られていたのである。それでもシェイカーとメジャーカップを知っている小学生のわたしは大いばりだ。これはシェイカー、これはメジャーカップと、遊びに来た友だちに教えてやっていた。なんのために使うのか知りもしない、つまりは耳年増である。
 それからもう何十年も経つというのに、この知ったかぶりの耳年増体質はまったくかわらない。じぶんでは使ったこともないくせに、知ってるだけで大いばりである。

 ほんものの年増になったわたしは今夜もバーへ行く。そしてカウンターで好みのカクテルをすすりながら、ばかなことを考えたりする。
 なにも知らずにバーテンダーの手元を眺めるとどうなるか――たとえばこうだ。

 攪拌器に氷、ドライジン、生ライムの絞り汁、砂糖液を入れ、激しく振り混ぜる。攪拌機の蓋を取り外し、足つきのグラスに注ぐ。

 調合用グラスに氷、ライウイスキー、スイートベルモットを入れ、三つ又フォークつき長スプーンで攪拌する。濾し器を通して足つきのグラスに注ぎ、金属製の爪楊枝に刺した砂糖漬けチェリーを飾り、レモンの皮で香りをつける。

 いうまでもなく、上はギムレット、下はマンハッタンのつくり方だ。耳年増だからこそできる一人遊びである。どんなことにでも取り柄のひとつくらいはある。

 ところで、佐伯さんがカクテルをつくるとき、ときどきスプレーを使うのをご存じだろうか。てのひらに隠れるくらいの小さなスプレーで最後にしゅっとひと吹き。
「いまのはなんですか」
 はじめて見たときわたしは訊いた。
「夜間飛行」
 と佐伯さん。
 これだから、バー通いはやめられない。

映画『カクテル』ロジャー・ドナルドソン監督 [DVD@amazon][IMDb]